-始まりの章ー

この日記は読まない方が良いです。








これはとある本にある説である。

                                                                                                                                            • -

      小人は己あることを知って、
                人あることを知らず

          【人のことを考えられる人間に】

つまらない人間は、自分のことばかりが頭にあって、人のことにまで気が回らない。何につけても自分の利益ばかりを考え、人のために役立つことを考えなければ、度量はどんどん狭くなってしまう。そうではなく、いつも人の立場や利益に気を使う人間になりたいものである。  K筆者

                                                                                                                                            • -

これは以前私が創り出した説です。

集に乱すもの有らば十とて一に等しい。集に乱すもの無くば一とて十に等しい。
  darknessheart筆者


私はK氏の説は+思考に見えてとても良い考えだと思います。
しかし,この説は真実だとか法でも決まりなどでも無く,私たちが生きる上での助言になる言葉であり,この説が正しいなどとは私は思わなかった。ただ,私たち人間が生きる上では良い力に,助言になると私は思った。この説には未だそれだけしか抱いていない。もっと読んで考えてこの言葉から得られる言葉の意味や使い方などを学び,獲得し生かしたいものである。

 下の私自身の説について述べます。
正直,とある場面を見た時に頭に浮かんだ言葉です。閃いた・・・というのでしょうか・・。何の過程も無く,ただ一瞬に【集に乱すもの有らば十とて一に等しい。集に乱すもの無くば一とて十に等しい】と頭に浮かんだのです。そして少しづつその言葉の意味が何かに教えられるかのように胸(心)と頭(脳)に伝わってきました。それを土台にし日々考えて意味を発展させて創り出しました。
集に乱すものあらば十とて一に等しい。集に乱すもの無くば一とて等しい】の意味を【一つの輪の中で行動する場合、周囲の気も考えず己の欲求などを優先しては周囲に負担をかけてしまい,己を甘やかして怠け癖がつきかねない。己にとってどんなに辛いことであっても共同の場や一つの輪では周囲に気を配り力を合わせてやることができれば負担は無く,辛いとことも辛いと感じず輪の中の暖かい温もりを感じ己の人間性を高めることができる。どんなものであっても一つの行動をするには時と場合をわきまえ,己を真っ直ぐに高めて行けば一つの輪(集)のものは小さくともどこまでも大きくすることが出来る。】としました。
私が創った言葉(説)は他にもあるのですが,K氏の説に似ている説(集に乱すもの有らば十とて一に等しい。集に乱すもの無く一とて十に等しい。)があったのでそれを選びここに載せました。

最後に・・人がどの様な言葉を創り出しても,意味が発展してもそれらは己にとって助言などでしかなく,説く人の言葉が正しいとかは無いと私は思います。
ただ,説く人の言葉を聴いてその中にある言葉や意味を吸収して活かしていく(生かしていく)事は己(自分)の為になると思います。
説く人と言いましたが,説く人では無く発言する人って言い換えた方が意味合いが良いかもしれません。

今日,心に残った事。
(それは)言葉遣いには使い方があると思います。これはー(マイナス)面での話しになりますが,よく考えて使わないと傷つけたり意味がくいちがったり,話が進まなかったり感情的にしてしまったり,争いのもとをつくってしまったりすることもあると思います。
言葉には使い方があり,大切に使わないといけないと思いました。また,己の気持ちを優先するばかりではなく,言葉を受け取る側の気持ちを考えることも言葉を吐く(使う)上で大切なことだと思いました。
また,言葉には意味がありますが,その意味も広く使い方があると思います。それ次第で言葉や言葉の意味は大きく変わってきたり,意味が深くなったりなど様々な使い方があるのではないかと思いました。
しかし、言葉を大切に使わなくてはならないと解っていてもいざという時に,上手くいかないものです。けれど,そこで努力することがまた大切だと思いました。
人が創り出した言葉という道具は使い難く,色んな面で難しいものです。