二つの『始まりと誕生』

この日記は読まない方が良いです。













(これら(↓)はある本に載せてある,とある人が説いた言葉である。)





生は貪るべし、死は畏るべし

       〜精一杯生きよう〜

【 与えられた人生は、貪るようにして生きるべきだ。そして死はありがたく受け入れるべきだ。毎日毎日を大切に精一杯努力して生きていくことが何よりも重要である。そうすれば必ず訪れる死に接した時、じたばたすることもなく受け入れることができるだろう。】

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私達は、私達の言葉の中でもっとも平凡で、短く、簡単な単語を常に選ばなくてはならない。

    〜言葉は人に伝えるためのもの〜


【私達はともすれば、難解な単語や美しい言葉を使い、自分の知性をひけらかそうとする。しかし、言葉は本来、自分の知識を自慢するためのものでなく、人に何かを伝えるためのもの。相手がもっともわかりやすい言葉を選ぶことが大切である。】

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【本文(日記)】
人この地球に生まれる。人は独りでは生きていけない。考えてみれば,脳裏にそう答えが出るのではなかろうか。少なくとも私はそう答えが出た。
その根拠は人が生きるための動力源。そしてその動力源はどうやって得ているのか(獲ているのか)。これが【人は独りでは生きていけない】という私なりの根拠(考え)である。
言葉は本来何のために使うのか。言葉が創られる前まではどうやってコミュニケーションをしていたのか。たぶん、今で言うジェスチャーという身体で行動や物を現して相手に伝えていた,と私の知識にはある。ならば何のために言葉が創られた(生まれた)のか。行動ではなく,声を通じて相手の心に直接気持ちを伝えるため,と私は思っている。私自身も何のために言葉が生まれたのかは正確な答えは解らない。けれど,私なりの知識で意見を出すことはできる。

とある人が説いたこれらの言葉(説)が正しい間違いだとは今の私は思わない。
生きる上でのヒント,助言,知識となると私は思う。
それをどう生かす(活かす)かは私達(自分)次第であろう。

人はこの地球に生まれる。生まれて言葉を知る。そしてやがて亡くなる(死ぬ)。命は一つで時がある。生命は誕生し,人は人生が始まる。
また,言葉も人が誕生させ,活用が始まる。

人は生まれてやがて死んでいく。
毎日毎日を精一杯努力して生きていくことが生きる上で大切なことである。
人は初めに言葉を習う。言葉は人生の中で一生使っていく(伴う)ものである。また,言葉は自分の気持ちを他者(人など)に伝えるためのものであり,
言葉を使う時は相手の気持ちを考え選ぶことが大切である。
これは人生の『始まり』と『誕生』を意味するものだと私は思った。


・・・私は未だこれらの説を応用できていない。これからもっと考えて言葉の意味を吸収して活か(生か)さなければならない。
活か(生か)していこう,ではなく活か(生か)さなければならない,である。

また,言葉も人が生み出したものである。それは真実ではなかろうか。
真実を掴み取れていない私に未だ解らない。
私の心は知人によって変えられた。心の中の闇が光に変わったかの様に。
しかし,今の私は闇でも光もない。あえて言うのなら【無】だ。
故にこれは私の新たな始まりと誕生を意味するのだろう。


人としての『始まりと誕生』
私自身の『始まりと誕生』

以下,二つの『始まりと誕生』が記された。

これは日記であり,私の気持ちである。



First ALIVE