混沌+2

この日記は読まない方が良いです。



気分が悪くなるかも知れないので読まないことをお勧めします。それなのに記事にするのは私自身が記事にして残しておきたいからです。
個人的なことです。

私は全てにおいて過小評価されて当然な人間だろう。
そうする人間ももちろん何処かには居るだろう。
そうすることを否定はしない。そういう人間が居ても居ても当然だと思うからだ。
しかし、そう思うのは私からすれば『思いやり』が無い、または短気だと思う。
短気と言う表現は間違いかも知れない。しかし、今の私にはそれくらいしか表現出来ないのだろう。また表現する気が無いのかも知れない。
なんと自己中心だろうか。しかし、その自己中心で迷惑している人も居る。
また迷惑していない人も居た。
私の友人の内の一人は私に迷惑していると申している。それは直す努力をしている。
もう一つの迷惑していない人は私自身が訊ねた。
『あなたは私のことを自己中心だと思いますか?』という風に。多少口調は変えているがその時は敬語で訊ねた。
そしたら素直に微かな笑みで『うん。自己中心だとは思うよ。』と言われた。
そこで私はまた訊ね私の意見を言った。『あなたは私の自己中心で迷惑していませんか?していたら遠慮なく言ってください』と。
そうしたら『迷惑はしてないよ。自己中心とは思うけど』といわれた。
迷惑している人も居れば迷惑していない人も居る。
よく考えれば私は二つの迷惑をすでに生きることでかけていると思った。
高校入学初期を思い返せば、私が合格したから他の受験者が不合格になったと考えても良いのかもしれない。しかし、他人の所為にする様だが、それはその人の受験者としての力不足とも言えても良いのではなかろうか。
つまり、仕方の無い迷惑。弱肉強食また自然の原理と言って良いと思う。
例にすればライオンという動物は雄のライオンをリーダーとし群れをつくる時に、他の雄の野良ライオンが群れに侵入すればリーダーのライオンと野良のライオンが決闘をし、もし、野良が勝った場合群れのリーダーは野良に変わる。
の様なことは高校受験とも同じ現象だと私は思う。
だからと言って私は簡単に割り切って社会で生きていける様な器用なことは出来ない不器用な人間だ。今は迷惑をかけていると私自身が気付いている物に迷惑をかけない様に自分を変え努力し、何にも迷惑をかけることの無い真理をただ探し求めたい。しかし、私は自分の心の中に正しさと言う法律や意見を勝手に胸に作りそれを現実世界に応用しようとしている。エゴともいえる。自分の考えを無理矢理現実世界に応用しようとしている。自分の意見を維持し貫き自分らしさや個性などは良いと尊重できると私は思う。しかし、尊重と応用は違うと思う。
こうやって私は常に葛藤している。私の理論で言うと、私の心の闇の性質と光の性質が葛藤している。一つの行動や意見や何かについて私が睡眠するまで常に何かについて私の心は葛藤している。そして理解することや考えることもやがては出来なくなり私の脳と心は爆発と言う現象を引き起こす。自我さえも無くなりただの受け答えをする壊れた機械のようになる。そして時間が経つと冷静さを取り戻す。

人間関係は避けることはできないみたいだ。生きようとすれば何かに迷惑をかける。しかし、死のうとすれば更に迷惑をかけまたその対象も増え挙句の果てには私を愛する家族や母親に迷惑をかけ悲しませることになり、私自身もその場合今の私では後悔する。またそれこそ自己中心な行動であろう。
今の私には努力しかできず、迷惑をかけずに生きる術が無い。
そうするままに葛藤も続く。
私は友と縁を切りたいと思うが、それはしたくないまた駄目だ、間違った行為だと思う。矛盾している。しかし、これが私の葛藤の一つでもある。
縁を切りたいが闇の方であり、駄目だと言う方が光の方だ。そして答えは出ない。葛藤が常に続くのだ。そしてそれだけでなく他のことに対しても葛藤が続く。どの問題も解決しないと今は予想する。私も心の整理が着いていないのだろう。
私は今は自分自身にこう言いたい。そしてどんなにプラスでもマイナスでも現実として受け止めよう。または受け入れよう。



『俺は・・・・過小評価されて当然の人間に成ってしまった。最低、残酷、厳重、最悪、愚弄、退化、暗黒、漆黒、−思考。
しかし、それでも頼る人もいる。こんな役立たずでも頼られている。なら応えねばならない。しかし、叫び嘆くこの心で身体で今の我が心身に一体何が出来ようか。言わないで欲しいとも言えないのだ、そなたの笑顔を絶やさないために。逃げることもできない。しかし、前を向けもしない状況に立たされたのだ。後ろも前も向けない。私はどれだけ背負えばよいのだ。どれだけリスクを抱えればよいのだ。背負えばよいのだ。それもまた成り行きのまま。そう使徒のように努力しかない。どんな状況でも壁に突き当たっても前を向くしかない。そうしなければ結果も来ないし笑顔も来ない。マイナスな私でも這い上がるしか無いのだ。それが今の試練だ。お前はその運命にある。他人に言っても理解できない血筋の関係という呪縛を解くにはその呪縛に打ち勝つしかない。だから努力だ。これは他人に理解できなければ自分でやるしかない。また自分自身にかけられた運命の呪縛なのだ。そうして努力と涙と嘆きと叫び、葛藤、当惑、様々なものが心で蠢き色んな現象が起きる。今の私は自我が無い・・・・というより定まらないであろうと言いたい。
私は結果がでるまで・・・・・・・・今はの心理状況だ。』
   







そして私は二度このブログを消そうかと思ったが出来なかった。