台風と解釈と感覚

この日記は読まない方が良いです。






今更何もできまい。
大人しく受けるだけだろう。
自然の怒りと言っては人の勝手な解釈になるだろうか。
俺はただ事ではないと思う。
そうそう台風が来ると言っていたな、中々強い台風が。
自分を嫌いになりそうだ。微かに…世界が滅びるのを楽しむ自分が心にいる。
悪魔か。
だが、自然を愛する心もあるみたいだ。
故に、自然に対して俺は切なく思い浸る。
これも人間の勝手な解釈に過ぎないのかもしれない。
受け入れるしかないだろう。
俺からすれば、自然の嘆きを。
一度だけ言いたい。
人間よ、天罰を知れ。

すまない。

言葉一つで疑いを招く。

例えば、新聞を見て女の子の話しが出ていた。
それを詳しく載せてあり、その物語の成り行きまであって、最後に感動的だったと感想が述べられていたとする。
だが、その新聞を読んだ人が、『何だ?このゲームエロいことばっかりじゃねぇか』と言ったら、その人の傍にいた弟は嫌な印象を持ち、最悪の場合ゲームを一生やらなくなるかもしれない。

これは例えの話しである。
だが、このように言葉一つで衝撃的な印象を与える場合がある。
これに限らず言葉は大切だと思う。
もちろん、その言葉の使い方もだ。
言葉を受ける側や言葉を周りで聞く側に印象を与える。
それ一つで戦争も起こる。
浅はかな感情の人間の場合がそうだ。
今日は最悪な日だ。

さて、俺が『今日は最悪な日だ。』と言ったら周りはどう思うだろうか。
『矛盾してる』、『気持ち悪い』、『最悪なのはおまえだ、darknessheart』などかもしれない。
主にマイナス思考の返事や意見だな。
しかし、プラス思考の感想や意見ならば、『可哀相に、明日は最幸だと良いね』、『頑張れ』、『それは辛かったな、明日は良いことがあるさ』など様々な意見があると思う。
知能の問題だ。
その人の精神的な知能を言葉が教えてくれる。
言葉と心は繋がっている。
さて、また批判が来るかな。
神奈川だと嬉しいな。
神奈川は悪魔の子供が沢山いるから。
何故、いるかって?
情報を得たからだ。
しかし、百聞は一見にしかず、だな。
なら、『神奈川は悪魔の子供が沢山いるから。』は前言撤回して、『神奈川は悪魔の子供が沢山いるといえるような悪い情報が沢山ある』に訂正だ。
批判=世の中の悪循環。

無視って、ある意味刹那だね。

ある意味地球滅亡は正しいかもしれない。
んな…わけないぃ…か。
もぅ逃げません。


さ、子犬の世話でもするかな。