言葉

この日記は読まない方が良いです。






いけない。自然との共鳴から昔の憎しみの自分へと化そうとしていた。
憎しみ……か。
憎しみの理由は沢山ある。しかし、1番親だろう。
やつは言っていた。
俺はわかっている。自分は傲慢だと。
俺は、そうなのか?というような理解しているような曖昧な返事をした。
すると、やつは話しを続けた。
俺は傲慢でもよいと思っていると。
確かに、人間傲慢でもよいかもしれない。
しかし、俺はやつの傲慢のやり方がもたらす現実を許せなかった。
俺は自分勝手な両親を憎んだ。
両親を親として愛している。しかし、人として憎んでいる。
殺意を芽生えるくらいに。
それだけ、両親の人としての行動が許せない。
やつらも所詮は現代に影響された人間。
そして俺は覚醒していっている故に子供として魂は消えゆき人として目覚め始めている。
そう自分を解釈している。
そうすれば、自然が歎いているように感じるのも自分の解釈に過ぎなくなる。
それでもいいさ。
考えなきゃいけないのは、平和により近い道。
だが、凡人である何の力も持たない俺には何もできなかろう。
死ぬことさえできない。
自由もない。
親により自由を奪われている。
そして最近になり再び思う。
無駄だが、俺は今また死にたいと思い始めた。
同時に昔とは違う孤独感を味わい始めた。
周りから見れば胡散臭く気持ち悪く苛立ちもする話しだろう。
だが、理解してもらうつもりはない。
批判するなら申し訳ないと返事するだけだ。
言葉を通して俺の気持ちを理解してもらおうなど甘いことはとうに考えいない。
強いて言えば、言葉を通して考えて何かを探して心を洗練して欲しいと思う。
自然、ニュース、死、病気、様々なことがあると思う。
昔に比べれば異様な現象はすぐ理解できる俺は思うが、やはり人間はそれすら理解できない程に知能が低下したのだろうか。
ウイルスか。
自然を破壊し技術に使用した報い。
義手。
言葉が沢山溢れ出そうだ。
クラナドというゲームは人というものと現代の在り方を教えてくれた気がした。
しかし、あれは希望がある作品だ。
俺からみれば現代に希望はない。
そうみえる。
確かに人には良いところがある。
しかし、そこばかりをみれば悪いところは野放しになる。
そうなれば良い平和から偽善たる悪い平和へと導かれると思う。
平和はこない。しかし、平和に近いよい世界はつくれる筈だ。
だから俺は良いところを見ながらも悪いとこれを見てそこを強調し指摘する。
良いところを褒めまたは誉め、伸ばすのは光りの役目。
悪いところ咎め叱り訂正するのは闇の役目。
そう、母親父親の役目のように。
俺はきわめて闇に近い。
だから、光りはもう一人に任せる。
こういう考えがある。
だが、闇は危険溢れる。
俺は悪魔になろうとは思わない。
せめて例を出すなら堕天使のままでありたい。
悪魔になる前の。
光りは善だと思ったら大間違いだ。
光りには光りの短所がある。
愛情にも短所がある。
光りの愛情だけでは、甘やかしやがて闇よりの悪魔にる。
だが、闇だけではいけない。
正しい道の光りと闇が両方あってこそ真。
それが天なる道。神という妄想。
神など、存在しない。
俺の考えでしかないが。

闇に依存してはならない。
光りに依存してはならない。
難しいが、してはならないこと。
そうしてしまえば誰かさんに集まったような光り依存者は闇を汚く追い払いやがて光り依存者は汚い闇を纏った光りになる。

私は……まだ希望を持てない。
人に失望している。

だから、もう一度言おう。
人よ、自然の天罰を受けよ。
甘んじて。
だが、それは哀しい。
復讐かリセットか。
滅亡でエンドか。
地球は…何を…いや、わからないなこればかりは。

時に、流れに、身を任そう。
今の俺の闇は傍観者なのだろう。


人が犬の在り方を変えた。
自然の在り方を変えた。

人が、人しかいないと考えている。

人総てが傲慢なのだろうか。

否だろう。
そう考えられない俺がいるから。

自然よ、俺に天罰を与えても構わない。

所詮、私は生まれ変わりでしかないて察している。